大判例

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福岡高等裁判所 昭和51年(ネ)293号 判決

控訴人

豊後高田市農業協同組合

右代表者理事

清原猛

右訴訟代理人

安田幹太

宇野源太郎

被控訴人

野村元

右訴訟代理人

太田博太郎

主文

一  原判決を取消す。

二  被控訴人は控訴人に対し、金三〇〇万円及びこれに対する昭和四五年四月一日以降右完済まで日歩五銭の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人は主文と同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

二  当事者の主張及び証拠の関係は、次に付加訂正するほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

1  控訴人の仮定的主張についての付加陳述

被控訴人は明治、大正の時代から大分県第一の富豪として有名だつた野村家四代目の当主である。当時、野村家は広汎な地区にまたがつて農地その他の資産を持ち、その経営にかかる株式会社野村銀行は同県北部の経済界に支配的勢力を有していた。この莫大にして多種多様の資産の管理運用は、総支配人を頂点とし、それぞれ分担が定められた番頭、差配によつて取行われ、当主自身が直接対外折衝にあたるなどのことは、特殊の場合を除いてなかつた。その後、野村銀行は戦時中の統合によつて解散となり、農地も戦後の農地改革によつて失われたが、なお多数の宅地、家作を保持し、全盛時に蒐集された書画骨董も秘蔵されると伝えられて、その財閥的権威は地方民の間に揺ぎないものとして残り、加えて、終戦時の当主市夫が、常時病床にあつて他人との面接を避けていたこともあつて、野村家の事業及び家政は、戦後も引続き支配人によつて取りしきられ、普通人が当主と直接面接することなど殆ど考えられない有様であつた。

市夫は昭和三三年一二月死亡したが、相続財産は莫大で多種多様であつたところから、その大部分について分割の協議が調わず、相続人らの共有として従前のままの方式によつて管理運用され、本件当時に至つても、新相続制度になじまない地方の一般人の間では、これらの相続財産は野村家の財産として、当主である被控訴人の責任において管理運用されているものと考えられていた。そのような事情で、本件有限会社野村孵卵場も一般には野村家の事業で、その経営は当主である被控訴人を最高責任者として行われているものと信じられ、事実そのとおりだつたのである。そのことは、事業当初の資金二口一八〇〇万円の借入に、被控訴人を筆頭とする野村家一族が連帯保証人として名を連ね、前記相続財産の主体をなす広大な宅地建物が担保に提供されている事実からも明らかである。

本件金三〇〇万円の借入について当初被控訴人が連帯保証人とならなかつたのは、さきの二口の借入に続いて本件も同一保証人では形がおかしいとの考慮から、本来被控訴人が保証人となるべきところを名義だけ清原猛が代つたというのが実情である。そこで、清原が新農協の代表者となつたため保証の肩替りが必要となつたとき、これを被控訴人が引受けることは、改めて承諾を求めるまでもなく当然のことと関係者には理解されていたのである。

このような状況のもとに、従来の取引におけると同様、右野村孵卵場の事務長である野村勝也が被控訴人の印章及び印鑑証明書を持参して、控訴人と本件連帯保証契約を締結するに至つたものであり、野村功ないし右野村勝也らに被控訴人を代理する権限が仮になかつたにしても、控訴人において右代理権があるものと信じたことは当然であり、またかく信ずるについては正当の事由があつたというべきである。

2  控訴人の右陳述に対する被控訴人の反論

控訴人は野村家が代々屈指の富豪で現在も世間はそれを信じていると主張するが、それは過去のことで、今はいわゆる没落地主にすぎない。今なお全盛時の野村家が続いているとするのは、往時を知る古老の幻想である。有限会社野村孵卵場は富豪野村家の最後の当主市夫の二男である野村功が、終戦後分家して、その家族の生計を維持するため始めたささやかな養鶏業であり、これを昭和四一年控訴人の前身である高田農協から近代化資金を借受け、その規模を拡げたが、放漫経営のため昭和四六年には数千万円の負債を抱えて倒産するに至つたもので、旧富豪野村家の事業といつたものでは全くない。

野村功はささやかな養鶏業者で地元の高田農協とも没交渉であつたが、当時右農協の理事で、後に六つの農協が合併して設立された控訴人の代表者になるほどの有力者、実力者であつた清原猛を同業者として知り、その支援協力を得て共に取締役となつて有限会社を設立したことから、以後、右清原のいわゆる顔によつて農協資金の借入を受けることができ、事業の拡充をはかり一応の成果をあげることができた。しかし、卵価の低迷、飼料価格の高騰等により野村孵卵場はその営業資金にも不足を来し、昭和四三年八月に借入れた金三〇〇万円も期限の昭和四四年三月三一日には返済不能の状態にあつた。

当時、高田農協は清原が代表者になつており、同人が連帯保証人である右借入について、利息のみを入金させて元金は不払のまま猶予する特別の取扱いをし、また、新たに発足した控訴人組合も右清原の顔によつてこの不良債権をそのまま引継いだ。ただ、その処理にあたり、清原は当然連帯保証人としての債務を継承すべきであるのに、控訴人組合の代表者となつたのを奇貨とし、組合員に対する貸付金に組合長が連帯保証をするのはおかしいとして、部下職員をして野村孵卵場に代りの連帯保証人を立てるよう指示させ、これに基づいて同孵卵場の経理担当者が被控訴人の実印と印鑑証明書とを持参するや、被控訴人の資力、連帯保証意思の有無など確認すべき何らの措置もとらず、同人を連帯保証人とする消費貸借契約書を作成したものである。清原としては、有限会社設立以来、取締役工場長として野村孵卵場の経営に参加し、その景況を内部から見ており、やがて経営の悪化は必至と予想して、証書の書替えを機に体よく連帯保証債務を免れたものと推認される。

3  当審における新たな立証〈省略〉

理由

一控訴人主張の本件準消費貸借契約の成立と右契約に基づく債務についての被控訴人の連帯保証の有無に関する当裁判所の認定判断は、控訴人の仮定的主張である表見代理の成否について原審と判断を異にするほか、ほぼ原判決の理由説示と同様であるから、次のように付加訂正してこれを引用する。

1  〈証拠関係付加訂正略〉

2  同一四枚目表二行目の「第一回証言」の前に「原審」を加え、同じく四行目の「同証人」から五行目の「各供述」までを「同証人の原審第二回及び当審における証言あるいは原審(第一、二回)及び当審における被控訴人本人尋問の結果」と改め、同八行目の「右認定の事実によると、」の次に「控訴人と有限会社野村孵卵場との間に昭和四四年四月一日右認定の内容の金三〇〇万円の準消費貸借が成立したことは認められるが、」を加える。

3  同一四枚目裏一一行目の「証人数田優」の前に「原審」を加え、同一五枚目表四行目の「その手続のため」から同じく六行目の「これを認めるよう」までの部分を「その手続のため、あらかじめ必要ある場合に備えて被控訴人がその実印の保管を託していた実母トメに対し、訴外功からの右目的限度内における該実印の借出し申入れに限つては、改めて被控訴人に連絡をとるまでもなくこれを認めるよう」と改める。

4  同一六枚目表一行目の「被告は」から同じく八行目の「提供しておつたのであるから、」までの部分を「もともと被控訴人は明治、大正の頃から大分県北部の経済界に支配的勢力を持つていた財閥野村家の当主であり、戦時下から戦後を通じて、右野村家がその経営にかかる野村銀行を解散し、農地改革によつて広大な所有農地を失うに至つたけれども、昭和三三年一二月先代市夫の死亡後、なお莫大かつ多種多様の財産が被控訴人とその弟妹らの共同相続財産として残され、これが大部分は分割されないまま保持されて、一般には野村家の財産として当主たる被控訴人の責任によつて管理運用されているものと考えられており、その意味合いにおいて訴外野村孵卵場もこの野村家の事業の一環であり、したがつて本件契約前、昭和四一年六月八日右野村孵卵場が控訴人の前身である高田農協から農業近代化資金一〇〇〇万円を借受ける際も、被控訴人をはじめ右野村家の一族が連帯保証人として名を連ね、また同四二年七月二〇日右孵卵場が同農協から事業資金として金八〇〇万円を借受ける際も、右功と共に揃つて抵当権設定者として共同相続財産を担保に提供しているのであつて、被控訴人は名義上右孵卵場の監査役にとどまつていたが、実質は右事業の最高責任者であつたものであるから、」と改め、同一六枚目裏八行目の「とくに本件の」から同じく末行の「のであるから、」までの部分を削除する。

5  同一七枚目表九行目から同二一枚目表二行目までを次のように改める。

「そこで、さらに本件において、本人の授権を推認させるような補完的情況が存したか否かを検討することとする。

〈証拠〉を総合すると、被控訴人は昭和三九年一二月から同四四年八月一五日までの間、福岡市所在の西九州ソニー販売株式会社に経理担当の重役として勤め、またその後も同四五年五月初旬までは同会社の残務整理に従事して、その間前後六年半ばかり郷里の肩書住所を離れ福岡市に在住していたこと、野村孵卵場はもともと野村功が戦後個人で始めた養鶏業で、控訴人の主張するような大分県北部にいわゆる財閥野村家がその一族の事業として行つているといつたものでなく、被控訴人は右孵卵場が昭和四一年二月一五日有限会社となつたとき、右功に請われて監査役に就任したが、実際に執務したようなこともなく、格別出資等もしておらず、右役職は名目上のものにすぎないこと、しかし一方、右野村孵卵場が個人営業の同三九年頃から前記のようにこれが事業資金に充てるため大分銀行高田支店より手形貸付によつて金五〇万円の融資を受け、その期限が到来したときは、その都度新手形を振出して右金員を借り替えるにつき、野村功から保証の依頼を受けてこれを承諾し、その手続のため、あるいはかなりの不動産を所有していたのでその管理等の必要に備えるため、実印を郷里の実母のもとに残しておき、同四六年頃まで継続して右手形の書替えにこれを使用させ、また、右孵卵場が同四一年六月、控訴人の前身である高田農協から農業近代化資金一〇〇〇万円を借入れたときも、やはり右功から懇請を受けて、右功その他弟妹三名及び実母トメと共に、共同相続人として共有関係にあつた不動産約一〇筆(そのうちにはいわゆる野村家の本宅である家屋敷をも含んでいる)を、その担保に提供し、かつ、被控訴人自身、右有限会社野村孵卵場の役員であつた野村富士夫、清原猛らと共に連帯債務者として名を連ね、また、同四二年七月右孵卵場が高田農協から更に事業資金として金八〇〇万円を借受けるについても、やはり被控訴人が前記共同相続人らと共同相続にかかる不動産等を担保に供し、かつ、これについても被控訴人において右清原と共に連帯保証人となつていたこと、もともとそのうち、金一〇〇〇万円の貸借について連帯債務者となつたこと及び金八〇〇万円の貸借については被控訴人の強く否定するところであり、これらの手続がいずれも被控訴人自身の手によつて行われず、代理人もしくは使者を介して行われ、右各書類に押捺されている被控訴人の実印も、前記のように被控訴人の実母に託されたものが、大分銀行高田支店に差入れる手形に使用のため借り出された際、あるいは他に何らかの口実を設けて借り出されて、これが勝手に使用された可能性を否定できず、他に確たる証拠もなく疑問がないではないこと(なおそのうちでも、金八〇〇万円の債務に対する担保提供は、被控訴人だけではなく他の共同相続人らの実印、印鑑証明を必要とするのであるから、これが同人らに何らの相談もなく、野村功らにおいて勝手に行われたとはにわかに信じがたいが)、いずれにせよ、被控訴人の野村孵卵場の経営に対する直接の関わりは名義上の監査役というにとどまるにしても、以上のような長期間に及ぶ保証の継続あるいは被控訴人ら兄弟揃つての担保提供といつた状況は、被控訴人を当主とする野村家一族による孵卵場といつた感じまではともかく、右孵卵場の事業を被控訴人をはじめその一族の者が揃つて援助しているといつた印象を一般に与えたことは否定できず、加えて、被控訴人が前記のように福岡市での仕事のため郷里を離れるようになつた頃、当時の高田農協の代表者山田安吉に対し、野村孵卵場のことをよろしく頼む旨申し述べていることが認められ、これらを併せると特に控訴人ないしその前身の高田農協においてその印象を強くしていたことが推認される。

そしてさらに前顕各証拠によれば、被控訴人の野村家は明治、大正の頃、控訴人の主張するように大分県北部において莫大な資産を有し、財閥と目しうるような存在であり、それが戦時中、戦後を通じて主要な事業ないし資産の多くを失い、往時の盛況は見るべくもないような状態となつたが、なおかなりの資産を残していて、やはりこの地方においてはかつての名門の資力に対して一応の敬意が払われているかのごとくであり、一般に金融その他の取引においても被控訴人ないし野村功が直接相手方と会つて交渉を行うことは殆どなく、取引の相手方も特にこれを求めず、実際の折衝や契約書類の作成等はすべてその従業員などを介して行われてきたこと、野村孵卵場に関する前記大分銀行高田支店あるいは高田農協との各貸借も、殆どは右孵卵場の事務長であつた野村勝也が必要な折衝を行い(大分銀行高田支店の手形書替などは時に野村功の妻恵子が)、印鑑、印鑑証明書等を持参し、あるいは同じく従業員であつた溝口雅典にこれらを届けさせて書類を作成してきたこと、その際、高田農協は勿論、大分銀行高田支店においても連帯保証人あるいは担保提供者であつた被控訴人本人に対し、改めてその意思を確認するため格別の手続をとつていないが、本件以前にはそれが特に問題となるようなことはなかつたこと、被控訴人と野村功とは兄弟であるが被控訴人は当時福岡市に在住しており、その実印も実際は郷里の実母トメに保管を託されていたが、同人も右功とは別に生活していて同居しておらず、右功は同居の親族間におけるように被控訴人の実印を容易に入手しうるような状況にはならなかつたことなどが認められ、〈る。〉

そうだとすれば、控訴人組合が付随的ではあつても継続して金融業務を取扱うものとして、代理人もしくはその使者と称する者が連帯保証人となるべき者の実印、印鑑証明書を持参することによつて、その権限を軽信し、直接本人に意思の有無を確認しなかつた(当時被控訴人は福岡市に居住していたが、その所在は明らかであつたし、電話その他による照会は可能であつた)点に問題はあるが、さきに列挙した諸事情は一応代理権限を推認させる補完的情況となりうるものと考えられ、控訴人が本件連帯保証契約の締結にあたり、前記野村功らに被控訴人を代理する権限があると信じたことについては民法一一〇条の正当理由があつたものというべきである。

してみると、控訴人の仮定的主張は理由があり、被控訴人は連帯保証人としての責を免れず、本件準消費貸借契約に基づく元金三〇〇万円と、これに対する弁済期の翌日である昭和四五年四月一日以降完済まで約定の日歩五銭の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

二そこで、控訴人の本訴請求に正当として認容すべきところ、原判決は結論を異にするのでこれを取消すこととし、訴訟費用の負担について民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

なお、仮執行の宣言は相当でないと認め、これを付さないことにする。

(中池利男 権藤義臣 大城光代)

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